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2013年8月21日
鑑定士:碧令翠(023)

時代を観る−14 特別編

★中華思想の源流★

中華の始まりは…2000年前の「秦の始皇帝」により完成されたが、そのルーツは宇宙の中心(星座の位置)に始まり、中華56民族のもとになり、黄河中流域に興った黄河文明(BC,6,000年)に源を発し…その源流は、紀元前2070〜前1600年に栄えた「夏王朝」初代「禹」より471年続いた中国最古の王朝に由来する。

◎中華の華は「夏」であり、その意味は「化」+「十」=「夏」……+は陰陽を表し、生死により物の化する、「変わる」意であり又「教え」「導き」「従わせ」…変えると言う意味を持ち蛮夷(中国以外の国)外より選ばれた中心の花の存在……中国を中華とみなす思想はまさに中国4000年の歴史観である。

★古代占術より創られた国家思想と戦略★

<陰陽五行説に観られる、思想の原点とは>




☆天地万物の五色(中国 各地の大地の色)…に全土を見立て周辺地域と中心地点の二極化による、中央支配の方程式の原典は五行思想を巧みに取り入れ中央集権のもとになり、その後現在に至る中華思想の原点となった。

世界でただ一つ 今も続いている中国文明「中原思想」と「秦の始皇帝」の戦略

☆中原(ちゅうげん)思想とは中華文化の発祥の地であり、漢民族にとって民族発祥のルーツである。又周王のいたこの地域は権力の象徴と見られた。天下を取るために争うことを「中原に鹿を逐う」…といいこの地域は黄河中流域下流域を指し今の河南省を中心とし、東は山東省 西は陝西省の広範囲であった。秦は史記によれば甘粛省の「秦亭村」を発祥の地とし、「中原」より500km西であり、当時野蛮で見下された西戎の地である。始皇帝の祖先は戦争に重要な役割がある「馬飼い」を生業とし、遊牧民「非子」…を祖としている。(中原地区の西移動と拡大)

※夏王朝では牛の耳の血を飲み、同盟を結ぶ事から「牛耳を執る」…から「牛耳る」と言われる様になった。

★秦の逆転の発想とは?!★

◎夏王朝の中原思想を利用して、西安を中心とした全土拡大で、周辺国を属国化!!

◎身分を問わず、実力主義⇒敵将の首一つで爵位が一つ上る……(爵位=20級)

◎発想の転換、周囲の異民族の混血化⇒秦の血を片親が持てば、子供は秦の子ではなく夏子(かし)…となり、何代か経た後総てを秦の民とした。

◎地域の文化・民族性を否定せず、反発の動きを弱め冊封政策により、中心の秦に朝貢を貢げば、家来にして庇護 属国化!!

※当時の秦に日本は東夷とみなされ、朝貢の見返りに「漢倭奴国印」…金印を受けた。

★天の北極星が天帝…天の中心に立つ皇帝★

☆陝西省西安市に「阿房宮」を中心とした都市計画⇒極廟を北極星に位置しこの地を天下の中心とし、北極星と自分を重ね合わせた権威を完成したのが始皇帝である。(Bc,221年)…2200年前の天星の10月の位置であり、当時は10月が始まりであった。…(世界遺産「兵馬俑」)現在も発掘中!!(清朝の紫禁城日本の平安京…風水学のルーツ)

※あまりに広大で、馬鹿らしい様を「阿呆…」の語源と言われる。

★宇宙の中心に立つ「こうこうと瞬く帝」…「皇帝」自分の姿を「北極星」に見立て

天命を下す大元(天の権威)として、位置付けた「一つに束ねる力」=「皇帝」の誕生‼

 
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